目からウロコ!南蛮貿易と日本人女性
こんにちは、ライフデザイナーのトンチーです。
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鉄砲の伝来
歴史で習いましたね!
当時中国(今の福建省)にすむ王直という武器商人の案内で
やってきました。
1億円で売ったのです。(お殿様は、かなり裕福だったの?)
とても興味をもったのでしょう!
喜んだポルトガル人は、これは、いい商売になると思い本国に帰り
数年後に再び日本にやってきます。
あなたは、たくさん売れてウハウハのポルトガル商人の顔がうかびましたか?
実は、そうは、ならなかったのです。
初の国産火縄銃の誕生
お殿様は、さっそくその火縄銃を鍛冶屋の矢板金兵衛に同じものを
作るように命じます。
ポルトガル人が、再来日したころには、3000丁ほどの国産火縄銃
ができていたのです。
しかしここままで、完成するまでもう一つの苦労がありました。
それは、ねじをつくる技術がまだなかったので、中国のマカオに親戚の女を
嫁がせその技術を学んだというから驚きですよね!
ものづくりの発展には、このような努力、貪欲な勤勉さがあったんですね!
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鉄砲には、火薬が必要!なぜ人身売買?
当時の日本には、火薬をつくる硝石は、ありませんでした。
黒色火薬は、木炭と硫黄が、3割硝石が7割の混合物です。
そこで火薬1樽に対して50人の日本人女性と交換する売買が行われ
たのです。
100樽なら5000人、1000樽なら5万人?
日本人女性は、他の国の人より良く働ききれい好きだったので
かなり高く売買されたそうです。
確かな奴隷売買は、わかりませんが、とても信じられない話ですね!
この風潮が、あまりにもひどくなり秀吉は、バテレン禁止令をだしたと
いわれています。
硝石は、人・動物の遺体、人糞が乾いてバクテリアが分解すると
できるんですね。
火薬に必要な硝石の需要が高まり、輸入に頼っていたのですが
やがて国産の硝石生産が可能になります。
蚕の糞と土を混ぜて何年もかけて作っていくんですね。
加賀藩ではじまったこの方法は、やがて全国にも拡がっていきました。
まとめ
歴史をひもとくと信じられない意外な事、不思議な事を発見
できて興味がわきますね。
先人たちの日本人の知恵には、驚くばかりです。
ものづくりの技術は、まねるところから始まり、独自のものを形成して時代と
共に便利な世の中をつくっていきます。
そして現在の文化につながっていくんですね!