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こんにちは、私は瀬戸内海の小さな島に住んでいます。トンチーです。2018年5月から、ブログをはじめました。フェースブックを利用して皆さんにお役に立つ情報、面白い情報を投稿していきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

目からウロコ!南蛮貿易と日本人女性

こんにちは、ライフデザイナーのトンチーです。
 
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鉄砲の伝来
 
 
1543年ポルトガル人は、種子島に鉄砲をもってきた話は、
 
歴史で習いましたね!
 
当時中国(今の福建省)にすむ王直という武器商人の案内で
 
やってきました。
 
ポルトガル人は、2丁の火縄銃を種子島のお殿様に今の金額で
 
1億円で売ったのです。(お殿様は、かなり裕福だったの?)
 
種子島のお殿様は、となりの屋久島と戦っていたので、この新兵器に
 
とても興味をもったのでしょう!
 
喜んだポルトガル人は、これは、いい商売になると思い本国に帰り
 
数年後に再び日本にやってきます。
 
あなたは、たくさん売れてウハウハのポルトガル商人の顔がうかびましたか?
 
実は、そうは、ならなかったのです。
 
 
初の国産火縄銃の誕生
 
 
お殿様は、さっそくその火縄銃を鍛冶屋の矢板金兵衛に同じものを
 
作るように命じます。
 
ポルトガル人が、再来日したころには、3000丁ほどの国産火縄銃
 
ができていたのです。
 
しかしここままで、完成するまでもう一つの苦労がありました。
 
それは、ねじをつくる技術がまだなかったので、中国のマカオに親戚の女を
 
嫁がせその技術を学んだというから驚きですよね!
 
ものづくりの発展には、このような努力、貪欲な勤勉さがあったんですね!
 
鉄砲には、火薬が必要!なぜ人身売買?
 
 
当時の日本には、火薬をつくる硝石は、ありませんでした。
 
黒色火薬は、木炭と硫黄が、3割硝石が7割の混合物です。
 
そこで火薬1樽に対して50人の日本人女性と交換する売買が行われ
 
たのです。
 
100樽なら5000人、1000樽なら5万人?
 
日本人女性は、他の国の人より良く働ききれい好きだったので
 
かなり高く売買されたそうです。
 
確かな奴隷売買は、わかりませんが、とても信じられない話ですね!
 
この風潮が、あまりにもひどくなり秀吉は、バテレン禁止令をだしたと
 
いわれています。
 
硝石は、人・動物の遺体、人糞が乾いてバクテリアが分解すると
 
できるんですね。
 
火薬に必要な硝石の需要が高まり、輸入に頼っていたのですが
 
やがて国産の硝石生産が可能になります。
 
蚕の糞と土を混ぜて何年もかけて作っていくんですね。
 
加賀藩ではじまったこの方法は、やがて全国にも拡がっていきました。
 

 

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まとめ
 
歴史をひもとくと信じられない意外な事、不思議な事を発見
 
できて興味がわきますね。
 
先人たちの日本人の知恵には、驚くばかりです。
 
ものづくりの技術は、まねるところから始まり、独自のものを形成して時代と
 
共に便利な世の中をつくっていきます。
 
そして現在の文化につながっていくんですね!