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こんにちは、私は瀬戸内海の小さな島に住んでいます。トンチーです。2018年5月から、ブログをはじめました。フェースブックを利用して皆さんにお役に立つ情報、面白い情報を投稿していきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

朝鮮出兵 秀吉の本当の野望とは?

こんにちは、ライフデザイナーのトンチーです。
 
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戦国時代のトップとして全国制覇した豊臣秀吉は、2回の朝鮮出兵
 
行いましたね。
 
 
実は、明との貿易または、征服があった?
 
 
この考えは、織田信長の意思を引き継いだものだったという事を
 
あなたは、ご存じでしたか?
 
当時アジア進出を企てていたいたスペイン・ポルトガルという
 
キリシタン国への脅威が、頭から離れなかったと思います。
 
ヨーロッパの勢力に支配される前に明に軍事的圧力をかけ中国沿岸
 
から東南アジア海域にかけて展開していた東アジアの中継貿易の
 
主導権を握る構想があったのです。
 
 
 
すごいスケールのでかい話ですね!
 
 
秀吉の勘違いと対馬の城主宗氏の2枚舌
 
 
明を征服する為に東シナ海を航海しなければなりませんが、
 
当時の航海術と船では、とても無理だったので、スペイン人に
 
教えを懇願するが、あえなく断られます。
 
そこで、対馬の宗氏に「お前の配下の李氏朝鮮に兵隊をだして
 
明を攻撃するよう協力せよ!」と命じます。
 
宗氏は、秀吉に逆らうことができないので、朝鮮の使者に
 
天下を統一した秀吉に挨拶に来るように伝えます。
 
当時の李氏朝鮮は、対馬とは、友好関係の貿易をしていただけで
 
明の支配下にいた属国だったのです。
 
朝鮮の使者と秀吉の考えに矛盾が生じるのは、当然ですね。
 
秀吉からすると逆らった朝鮮を攻撃し後に明に攻め入る考えに
 
変更したわけです。
 
 
文禄の役(1592年~93年)
 
あなたの知っている武将は、何人かいると思います。
 
 
 
 
など総勢158700人対朝鮮軍172400人、義兵軍22400人でしたが
 
日本軍の快進撃で朝鮮国王は、民衆を手放してそそくさと退散します。
 
民衆は、当然怒り狂い、城を焼き討ちし、盗賊もあらわれます。
 
朝鮮では、身分制度が厳しく両班以外の階級は、とても生活できる
 
環境ではありませんでした。また奴婢という人間が家畜同然として扱われて
 
いたのです。
 
だから低い身分の人からすると日本軍の活躍に喜び応援したというから
 
びっくり仰天ですよね。
 
李氏朝鮮の兵隊は、本当に弱かったので、明の応援軍40万人が加わり
 
戦ったのです。
 
しかし日本軍もいつまでも戦いを続けるわけにいかずお互いに50日間の停戦
 
を約束しますが、明軍の裏切りで、日本軍は、奇襲に遭い逃延びます。
 
 
秀吉は、どうしても明との対等の関係を結びたいが為交渉しますが、
 
こじれた末再度戦争となります。(慶長の役1597年~98年)
 
しかしこの計画は秀吉の死で終結します。
 
 

 

 

 

文禄・慶長の役 (戦争の日本史16)

文禄・慶長の役 (戦争の日本史16)

  • 作者:中野 等
  • 発売日: 2008/01/16
  • メディア: 単行本
 

 

秀吉の野望
 
 
天皇を中国の首都北京におき秀吉は、寧波(ニンポー)を本拠地に
 
して支配しようと思っていました。
 
 
 
その後、天竺(今のインド)まで領土を拡大しょうと考えていました。
 
あまりにも壮大な計画に脱帽しました。(どこまですごいんだ!)