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こんにちは、私は瀬戸内海の小さな島に住んでいます。トンチーです。2018年5月から、ブログをはじめました。フェースブックを利用して皆さんにお役に立つ情報、面白い情報を投稿していきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

真実!終戦8月15日の後も勇敢に戦った兵士をご存じですか?

こんにちは、ライフデザイナーのトンチーです。
 
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あなたの認識
 
1945年8月15日天皇玉音放送で戦争が終結した
 
と思う方が多いと思いますが、実は、その後も
 
勇敢に戦った日本兵がいたことをあなたは、ご存じ
 
ですか?
 
 
勇敢な日本兵
 
 
東アジアの各国で、日本兵は、戦っています。
 
しかし、天皇終戦宣言と同時に戦争は、終わってない
 
のです。
 
まずは、北からいいますとソ連は、日本と日ソ中立条約を
 
1941年締結しました。
 
期間契約満了を待たずしてソ連は、8月9日一方的に破り
 
8月18日から北方領土に侵攻し侵略したのです。
 
占守島キスカ島の戦い
 
日本兵は、15日の天皇玉音放送を聞いてやっと
 
戦争が終わると思っていましたが、ソ連兵の襲撃で戦う事
 
になりました。
 
(汚いソ連の裏切りには、あきれる!)
 
またシベリアにいた捕虜たちは、過酷な労働で長く
 
抑留され10年の歳月をかけてやっと帰国するということ
 
になったのです。
 
日露戦争の恨みが、よっぽど根づいていたのかも?
 
 
次にインドネシア日本兵の事を話します。
 
オランダが、元植民地のために又獲得しにきたのです。
 
困ったもんですね!
 
 
後にインドネシアは、オランダから独立するのですが、
 
2000人ほどの日本兵は、終戦後残ってインドネシア
 
独立のため一緒に戦い1000人の戦士者がでました。
 
 
結果的に旧日本軍とインドネシア軍の勝利となり
 
はれて独立することができました。
 
 
こういった経緯ででインドネシアの人々は、今でも日本に
 
感謝しているそうです。
 
インドネシアの教科書に歴史の真実が書かれています。)
 
 
日本ではこの事が知らされていないのは、残念ですね。
 
 
 
最後になりますが、29年間ルバング島にいて旧日本兵
 
して生き延びた小野田少尉について語ります。
 
陸軍士官学校出身の彼は、祖国日本の為に頑張った
 
歴史の生き字引です。
 
本当に辛い苦難の日々を過ごされたと思いますが、
 
民間の鈴木紀夫という日本人によって発見された事は、奇跡的
 
幸運の持ち主だと思います。
 
その時の様子をみると鋭い目つきの小野田さんの印象が
 
あります。
 
それは、いつも何かに対する危機的状況にあったからかと
 
思います。
 
1974年(昭和49年)3月12日に帰国しました。
 
幸いにも小野田さんは、結婚しブラジルに移住、
 
小野田牧場を経営し小野田自然塾も主宰しました。
 
91歳の生涯をとじました。
 
 

まとめ

 
 
日本人の知らない真実があることをもう一度確かめる
 
いい機会になったと思います。
 
 
私たちが教えられた教科書は、もしかしたら、デタラメかも
 
しれません。
 
戦勝国の都合の悪いことは、すべて排除する
 
必要があったことは、間違いありません。