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こんにちは、私は瀬戸内海の小さな島に住んでいます。トンチーです。2018年5月から、ブログをはじめました。フェースブックを利用して皆さんにお役に立つ情報、面白い情報を投稿していきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

イザベラ・バードさんから見た李氏朝鮮とは?

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イザベラ・バードさんは、1894年(明治27年)~1897年(明治30年
 
までの4年間朝鮮を訪れています。
 
李氏朝鮮王朝の末期時代で人口は、1200万人~1300万人いたと
 
いわれています。
 
田園風景や美しい木立に対しては、すばらしく感銘していますが
 
都市ソウルは、ひどく汚く悪臭が漂っていたといいます。
 
人々は、日本人よりも大きくがっちりとしていますが、年のわりに
 
老け顔であったといっています。
 
また女性の教育は、行き届いてなく自由に外出する環境では
 
なかったようです。
 
身分階級が、はっきりしていて、特権階級の両班(やんばん)が
 
仕事はぜずに階級の低い人々を奴隷として扱っていました。
 
この身分制度が、この国の発展を妨げているようです。
 
 
イザベラ・バードは、王族とも親しく接していたようで、国王の
 
高宗に対して勤勉であるが、主体性がなく君主としては、
 
器量にかけている。常に王妃閔妃のいいなりになっている。
 
国全体の物事を考えて政治の手腕を発揮するには、
 
物足りなさを感じていたようです。
 
のちに王家の内部分裂も起き李氏朝鮮は、危機を迎えます。
 
もう独り立ちするには、不可能な国となったため朝鮮の李完用
 
は、日本に手助けをもとめ日韓併合となりますが、日本の行為が
 
すべて、朝鮮の人に受け入れられたわけでは、ありません
 
でした。
 
日本としては、道路、鉄道、電気、水道などのインフラ整備に
 
つとめ人口も以前の倍以上になったといいます。
 
農業、工業の技術もさかんに取り入れられ発展していったの
 
ですが、残念ながら反日家の人々からは、未だに感謝されていません。
 
イザベラ・バードさんは、日本にも強引なやり方が、あったのでは、ないかと
 
言っています。