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こんにちは、私は瀬戸内海の小さな島に住んでいます。トンチーです。2018年5月から、ブログをはじめました。フェースブックを利用して皆さんにお役に立つ情報、面白い情報を投稿していきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

私がパラオに行きたい理由は、

私がパラオに行きたい理由?

 数年前天皇陛下ご夫妻が、パラオ諸島を訪問しました。

 どういった国でしょうか?私は、日本語が通じて

 国旗が日本とよく似ているのは、何故なんだろうと

 思っていました。

 今では、南の避暑地、観光地として有名です。

 鮮やかな紺碧の海と空、日本にはないこれ以上の自然が

 いっぱいあります。

 最近では、マリンスポーツで施設が整っています。

 ご託に漏れず私も海が、好きなので、スキューバダイビング

 モーターパラグライダージェットスキー是非体験したいです。

  しかし私の行きたい理由は、他にもあります。  


【感動する話】パラオの日本軍【涙腺崩壊】

 是非確かめたい事があります。日本史が好きな私は、大東亜戦争

 の時活躍した中川州男と言う軍人の生き方に興味がわきました。

以前ドイツの植民地だった時とは違い、日本人は、学校、病院、道路の

 インフラ整備をしました。

  戦火が、厳しくなりペリリュー島では、アメリカ兵42000人対日本兵

 12000人の戦いとなります。      

 

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 原住民は、日本人を尊敬していたので大人、子供も日本軍と一緒に

 戦う決意をしました。そして村長が、中川大佐の所に相談に行きます。

  中川大佐は、「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」と

 突っぱねます。

 日本人は、仲間と思っていたのに島民達は、裏切られた気持ちでした。

 島民を戦火にまきこんでは、為らないという指令を出し強制疎開させました。

  島民が島を離れる時、日本兵は、全員浜に走り出しました。

 日本の歌を歌って見送り、中川大佐は、笑顔で島民に敬礼しました。

 島民達は、自分達を守る為に厳しい態度をとった大佐の行動に気づくのです。

 11月24日日本兵は、50名少しになり玉砕を決意します。

 3日で撃沈させると思ったアメリカ兵は、73日間の攻防戦となります。  

 

 

 戦いは、終わり島に帰った島民は、あまりにも沢山の兵士の死体に

 愕然とします。

 自分達を守ってくれた島民は、日本兵を丁重に葬りました。

 今では、その時の感謝を込めた石碑があります。

 1995年パラオは、独立し青い太平洋に浮かぶ黄色い月をイメージした

 国旗をかかげます。少しでも尊敬する日本人に感謝する為国旗を同じように

 似せたかったのです。

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